死ぬまで生きたい。こんな僕でも生きているということ。変われることの楽しさも伝えたい
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なべつち
なべっちこと渡邉雄一郎
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こんな自分でも今生きている。
だらかこんな自分でも生きれてることをみっともなくても言いたい、伝えたい。
やりたいことをできると証明したい。

また変われること、変わることの楽しさを伝えたい。


何かしてあげれるわけではないけど、辛い時、辛いと言える社会になるといいな。
そういう場所もつくりたい。

今は障害のある方の就労支援をしています。
障害は社会の側にある。
障害というと個人の欠点や特性、できないことにフォーカスされるがそうではなく、
文化や価値観が作り上げていたり、技術やすこしの配慮で障害がなくなることがある。

【好きなこと、もの、人】
中島卓偉、伊集院光、京極夏彦、森博嗣、カズ、ギター、ユニゾンスクエアガーデン、トライセラトップス、ランクヘッド、Lyu;lyuなど、アニメ、ドラマ、服、読書、ドライブ

カメラはcanon

車はmini クーパーSコンバーチブル
からmini クーパーSクロスオーバーに乗り換え先日MINI CLUBMAN バッキンガムに



〈来歴〉
1983年東京都世田谷で産まれる。
後からわかることだが両親は籍を入れていなく、出生届も出されなかった。(中学校ぐらいの時に戸籍取得)
母はまともな仕事をしたことがないので住み込みなどでプレハブ小屋で暮らすことが多かった。

幼稚園の頃、父はほとんど帰ってくることはなく、妹と2人で生活していることが多かった。
小学校一年生の時にそのまま父失踪。
マンションを妹と母で夜逃げして多摩川に落ち延びる。
建設会社のプレハブに6畳一間で3人で過ごす。(多摩川小学校)
1年ほど生活したのちに会社の社長がお金を持ち逃げして失踪!
倒産のため出て行く事に。(社長最後の目撃者は僕だった)
千葉の建設会社のプレハブに移り住む。(こてはし台小学校)
もう大丈夫かと思いきや小6のときにやはり倒産し引っ越すことに。
引越しの際は、母の男性問題もあり、引っ越し先などは秘密にしなくてはならなかった
埼玉草加に引っ越す。今度は借家で。

高校時代も引き続き貧しかったため友達のラーメンの残りのスープや家からもってったミカンで耐えしのいだ。たまに買う100円のかつ巻がご馳走だった。
高校までは名字坂元だったけど戸籍上はその苗字のことはなかった。(それでも学校に行けてたのは不思議だ。)

高校の頃はお金ないから大学は無理といわれたので踊る大走査線の影響から警察官の試験を受けた。
死にたいと思いながら生きていた幼少期。死ぬ前に好きなことをしようと思った。
1年バイトしてお金を貯めようにも、家にお金をいれ、入れたそばから母親が無駄遣いをし、状況が変わらないため、新聞奨学生として代々木アニメーション学院へ芝居を学んでみようと東京にでてきた、2畳半の部屋で2年間過ごして今は潰れてしまったがラムズという事務所の養成所に入所した。
3年ぐらいし、バンドやってみたくなって楽器を初めた。
みんな楽器初めてだったけど、ライブをやって、企画をしてイベント開催したり、やりたいことはやって実現しようと行動に移してきた。

仕事はいろんな営業を経験。賃貸管理、ノベルティ、アパレル、イベント、ベンチャー企業にて、iPhoneケースメーカーの立ち上げ、就労支援など
親と、妹の最低限の生活を守るためにマンションを購入。

満足と幸せは何が違う?
始めは生きるためだった。
その次は欲求を満たすため
そのあとは成長のためだった。
いくら満足してもキリがない。
そんななか誰かの笑顔を見た時に感じることこそ幸せだと思った。
そのために何かできないか考えたい
何のためにを追求した結果現在は人を支援する仕事についている。