スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

街は形を変えてく、想い出は色褪せてく 花は枯れてまた咲く

今まで引越しは8回ぐらいか(家をちゃんと出るまでは4回か)
今日は小学校6年から中3まで住んでた埼玉草加に行ってきた(次の引越し先も草加市内ではあったから19までは世話になった町だ)

小6の12月埼玉草加に引っ越すことになった
今までのプレハブ小屋とは違い、借家だったが古い一軒家に住む事になった

一見普通っぽい生活だ、、、。まぁいろいろあったけど
追い出されるかたちで中3の時引っ越すことになったが同じ市内で駅2つ分離れただけだった。
もう転校は嫌だったので越境という形で電車で通った

しばらくいかないと街は変わるね
結構お店はつぶれるもんだ
駅のそばにはスタバなんかもできてた
必要なものと不必要なものが整理されていく感じ

よく立ち読みしてたちっちゃな本屋
まだあった
外から見覚えのあるおばさんが見えた
僕は知っている。でもあの人はもう覚えてないだろう
見覚えのある景色
あの路地がどこに抜けるかも覚えてる
でも誰も今の僕を知ってる人はいない
誰か僕を知りませんか?

住んでた家はまだあった。
タオルが干してあったからだれか住んでいるのだろうか
隣のいえのちっちゃな子は今はもうどれくらいだろうか
友達だった子の家を通り過ぎた。
今はみんな何をしているだろう
もう就職して家を出ているかも知れない。夢を追いかけてる途中かもしれない
僕の事を覚えているだろうか?
よく遊びに良く家があった。
中学1年の頃毎日のように遊んでいた友達でよく泊まりに行ったりもしてた。両親はコイン屋を経営していた。(古い貨幣とか)
2年で違うクラスになって疎遠になってしまったが。
彼はラジオパーソナリティーになりたいと話していた。夢は叶っただろうか?まだ追いかけてるかなぁ? でもその友達の家の場所は思い出せなかった。

役者になりたい。それを早く形にしたい。
今何やってるの?って聞かれたら
「役者だよ」
って答えたい。
そしたら、、、
銀杏BOYZの人は言ってたな「今まで会って来た全ての人に、もう一度会えたらどんなに素敵な事だろうか」


1時間強かいろいろ歩いた後帰宅した。

いろんな事を考えた。
何を考えてたかはもう結構忘れたがな

ビリーズブートキャンプ応用編を借りたからやるかな!
鍛えなきゃ!
昔ある講師の人が言ってた
まだ演技が上達しないのはわかる
でも腹筋とかはやればつくだろ?

物心がついた日をこの街に覚えてる 喜びも悲しみもささやかな愛だった 面影は音と香になり 懐かしさは色になる ゆるぎなく この場所に残る変わらないものがあった 泡沫の夢のような過ぎ去りし日々に思う 許し許される時が訪れたのかもしれない

2007年1月23日。今日はとても大切な日になった。だいぶすごい長くなってしまうので画像を交えつつ省きながら
僕は17年ぶりに故郷を訪ねた。故郷といっていいのかもわからないけど。それでも生まれて、物心がついた街。
僕が生まれて6年間過ごした街。全てが始まった街、世田谷に。父が失踪してこの街を離れてから一度もきたことがなかった。
朝起きていく決心をした。
おきて着替えて朝食代わりに牛乳だけ飲み、デジカメと未読の小説をバックに入れ家を出た。
電車に乗り、まずは携帯で乗り換え方を調べる。そしてバックにいれてあった小説を読み心を落ち着かせた。
新宿に着き京王線に乗り換える。小説を読む事も音楽を聴く事もなかった。
世田谷での生活。覚えてる事。「桜小学校」「世田谷1-33-10ライオンズマンション104」「ボロ市」「代官屋敷」「ヤマモトウイちゃん」「シマザキワカコちゃん」「とうやくん」「世田谷線」「三軒茶屋」「世田谷中央病院」下高井戸に着くと胸が高鳴ってきた。世田谷線。乗換えだ。
世田谷線の乗り場に行く。世田谷線は路面電車でどこまででも定額で大人は140円。バスみたいな感じ。
電車を待ってる間停車駅の確認。目的地「世田谷」駅確かにある。
世田谷線
世田谷線に乗って三軒茶屋に連れられていったのを覚えてる。世田谷線が駅にきた。昔とは車両がぜんぜん違う事に驚いた。
昔は「緑の電車」と呼んでいたように全部が緑だった。今では車両ごとに色が違うらしく綺麗だった。中に入って一番前の席に座る。世田谷線に乗るときはいつも一番前か後ろだったから、、、。中も綺麗だった。運転席に境がないのは変わってなかった。
走り始めた世田谷線の中涙がこみ上げてきた。いつもかけてるサングラスもかけてなかった。ここでは書ききれない事をいっぱい感じた。思った。思い出した。
そして世田谷駅に着いた、、、。降りた物ののどっちに行けばいいのかわからなかった。とりあえず住んでたマンションを目指そうと思った。10分ほど思いを巡らせつつ歩いていくと、住んでいた住所は覚えていたのでこっちではないと判断。引き返して反対側に歩いていった。さすがに道までは覚えてなかった。でもこの道を17年前の僕は歩いていたんだろう。
しばらく歩くと「世田谷中央病院」発見した。外見はぼろいままだ。
番地を確認すると住んでたマンションもそばだ。もう僕は走ってた。だんだん近づいてるのがわかる。そしてそこにあった。ずっとあったんだ。僕が出て17年間。

入り口は門で閉ざされていて中庭に入る事さえ出来ない。ポストを見てみる。104号室。誰かが住んでいるようだ。3階に「とうや君」は住んでいた年上で優しかった。部屋番号は覚えていない。苗字もわからなかった。まだ住んでいるかどうか判断はできなかった。102号室には頭のおかしい?おじさんが住んでいた。おばあちゃんは優しくたまに家にあげてもらっていたのだけど、ある日包丁をもって妹と追い掛け回された。マジで殺されるかと思った。そのおばぁちゃんに助けてもらった。まだ住んでいるのだろうか?
しばらくしてマンションの前を後にした。近くの道はなんとなく覚えてる。思い出すこともあった。すぐそばに「ヤマモトウイちゃん」の家があった。いろんな思い出があった。表札には家族全員の名前が書いてあった。僕は好きだった。ウイちゃんが、、、、。
歩いていく。ボロ市通り発見世田谷では毎月?だかボロ市というのが行われている。
記憶がつながっていく。代官屋敷発見!代官屋敷は郷土資料館になっている。中に入ってみた。古墳の模型や土器などが展示してあった。写真は中は許可が必要っぽかった
桜小学校も発見した。張り紙に「学校公開週間」。中に入れるらしい。すごい偶然だ!
受付に行く。中に入る。











後にする。あと探したかった場所。おそらく初恋「シマザキワカコ」ちゃんの家。誕生日だって覚えている。彼女の家は自転車屋だ。大体の場所は思い出してたけどなかなか見つからなかったが「島崎サイクル」の看板を見つける。中におばさんがいた。中に入って話をしてみようかと思った。10分ぐらい悩んだ。でも結局そのまま離れていった。
妹に電話してみた。覚えてる事っていっしょだなぁと思った。その後Tくんに電話してみた☆
三軒茶屋にいってご飯食べて、ひとりでカラオケ2時間半熱唱して発散して帰った。
ホント書ききれない程いろんなことを感じた。行ってよかったと
早く寝て9ジカラノスタジオに備えなくては。



この街を後にしてもまだ名残惜しすぎるから



きれいな病気

昨日は地元の友達と最終的に七人で集まって飲み会。久しぶりに草加に。久しぶりに草加に行くとなんか平和な感じがする。
みんな元気そうだし、それぞれ頑張ってるみたい。僕も頑張らないとって思う。結果を出さなきゃって焦る気持ちにもなる。こればかりは頑張るしかないんだけど。
みんな実家にすんでて僕は次の日朝六時からバイト(今バイトに向かってる)だから一人終電で帰った。帰ったら二人ミクシーをやってるの知らなかった奴がいたから登録した。
そして今日深夜0時からナンバーナインと永瀬正敏コラボTシャツオーダー開始だったけど彼女に頼んでおいたから確認してフジロックのコラボもオーダーしたりしてたら一時過ぎた…。二時間しか寝てない…。
1